作家・英語教育研究家 晴山陽一オフィシャルサイト

英語に敬語はあるか?

     『なぜあの人の英語は「知的で美しい」のか』(明日香出版社刊)より

■英語に敬語はあるのか?
 私は本書を書くために、15冊ほどの英語の敬語に関する本に目を通しました。
その中で、いちばん印象に残った一文が、『敬語の英語』(デイヴィッド・セイ
ン他著、ジャパンタイムズ刊)の序文の中の次の言葉でした。

 英語には丁寧な言葉遣いがないのかというと、そうではありません。乱暴な言
葉遣いがあるのと同様に、丁寧で上品な言葉遣いもちゃんとあります。でも、そ
れは、相手によって使い分ける敬語ではなく、品のいい人が話す品のいい英語の
こと。つまり、英語の丁寧さは、誰に(「に」に傍点)話すかではなく、誰が
(「が」に傍点)話すかによって決まるのです。

 セインさんが言いたいのは、英語の丁寧言葉は、日本語のように、相手が先生
だからとか、相手が目下だからと、相手によって使い分けるものではなく、品の
よい人は常に上品な言葉遣いをするというように、その人自身の品格からにじみ
でるものなのだ、ということなのです。
 英語には日本語のような敬語のシステムがない、というのは疑いのないこと
で、たとえば、「踊る」と「踊ります」のような丁寧語による言い換え、「言
う」と「おっしゃる」のような尊敬語による言い換え、「行きます」と「参りま
す」のような謙譲語による言い換えは英語にはありません。では、敬語に該当す
るような丁寧なものの言い方がまったくないかというと、セインさんも言うよう
に、そうではないのです。ひとつ証拠をお見せしましょう。

■イギリス人の夫の要求
 次にご紹介するのは、かつて朝日新聞に載った作家の森瑤子さんのコメントです。

 たとえば私が「そこにあるはさみをちょうだい」と言うとき、日本人の家族で
すと「はさみお願い」という言い方で気持ちは通じますよね。ところが私のイギ
リス人の夫に、その直訳英語で「シーザース・プリーズ」と言いますと、不快な
顔をする。「プリーズ」をつけても必ずしも丁寧にはならないんですね。ほんと
に彼にはさみを取ってもらいたいときには、日本語で言いますと「たいへん申し
訳ないんですけれども、そこにあるはさみを、今、取ってちょうだいと言ってお
願いしたらご迷惑でしょうか」というふうに言わないと通じませんね(笑い)。

 この一節を読むと、英語にも立派に敬語に相当する言い方があることがわかり
ます。ただし、言葉の性格の違いから、日本語式の敬語とは異なる表現方法をと
る、というだけに過ぎません。よく英会話の本に、英米人の夫婦間では、片言の
ブロークン・イングリッシュで事が足りている、というような記述を目にします
が、森さんは正反対のことを書いています。私も、ブロークンな英会話を奨励す
るような言い方には賛成ではありません。第一、ワンパタンの片言英語だけで彼
らが恋愛し、結婚したとはとうてい思えないのです。セミじゃないんですから。

■丁寧さのレベル10段階
 英語の丁寧言葉にも、丁寧さにレベル(階層)があります。たとえば、お金の
無心の仕方にも、次のように10種類以上の表現が考えられます。無理やり敬語を
使って、ニュアンスの違いがわかる日本語訳を付けてみました。

①Lend me some money.
 (お金貸してよ)
Please lend me some money.
 (お金貸してくださいよ)
Will you lend me some money?
 (お金貸してくれるよね)
Can you lend me some money?
 (お金を貸してくれますか)
Would you lend me some money?
 (少々お金を貸していただけますか)
Could you lend me some money?
 (少々お金を貸していただけますでしょうか)
Could you possibly lend me some money?
 (できましたら、少々お金を貸していただけますでしょうか)
I wonder if you could lend me some money.
 (少々お金をお貸しいただけたらと思うのですが)
I was wondering if you could lend me some money.
 (少々お金をお貸しいただけたらありがたく存じますが)
Would you mind if I asked you to lend me some money?
 (少々お金をお貸しくださいとお願いしてもお気を悪くされないでしょうか)

 ひつだけコメントしておくと、3番目の Will you lend me some money? は学
校で習うような「丁寧な依頼の表現」ではありません。直訳すると「あなたはお
金を貸す意思がありますか」といういささか不躾な言い方になり、決して相手の
気持ちを尊重した表現ではないことがわかります。先生や先輩には(同僚にも)
使えない表現です。ところが、Willの代わりにWouldを使った⑤ は、格段に丁寧
な言い方に変わっています。このひとことの差が大きいのです。
 なお、先ほど森瑤子さんのコメントの中にあった、「たいへん申し訳ないんで
すけれども、そこにあるはさみを、今、取ってちょうだいと言ってお願いしたら
ご迷惑でしょうか」は、ほぼ⑩に近い表現ですが、それに輪をかけて複雑微妙な
表現をご主人から求められていたようですね。「たいへん申し訳ないんですけれ
ども」のところは、I'm terribly sorry, but...という英語が近いと思います。
 いかがでしょう。今お見せした例を見ると、英語には敬語表現はないと一概に
は言い切れないのではないでしょうか。ただし、表現の方法が日本語と違うの
は、そもそも言語のシステムが異なるのですから当然です。「敬語」に当たる
タームは英語にはありませんが、その代わり politeness(丁寧さ)という言葉
があり、近年の言語学のキーワードのひとつとなっています。