作家・英語教育研究家 晴山陽一オフィシャルサイト

ネイティブの英語は10歳で完成する!

All grown-ups were once children ― although few of them remember it.
すべての大人はかつては子供だった ― そのことを覚えている人は少ないけれど。
                                                                                         (サン=テグジュペリ)


■有名人の場合
 あなたは10歳のころ、どんな子供だったでしょうか。そのころのどんな出来事を覚えていますか。私自身の話をする前に、有名人たちが10歳のころにどんな子供だったか、少し調べてみることにしましょう。テキストは『有名人の子ども時代』(C. マディガン、A. エルウッド著、文春文庫)という本です。

・早熟の天才として有名なモーツァルトが、10歳までにすでに数曲の交響曲を書き上げていたのは有名な逸話です。

・ビル・ゲイツは知能指数160あるいは170以上の大秀才で、すでに9歳のころには、百科事典のPまでの項を読破していたといいます。

・『異邦人』を書いたアルベール・カミュは、9歳から10歳にかけての小学校の担任教師に文才を見出されました。この先生はカミュの才能に懐疑的だった母親を熱心に説得し、奨学金制度を利用してアルジェ大学に進む道をカミュに開いてくれたのでした。

・作家のトルーマン・カポーティは、こう書いています。「私が9歳か10歳のある日のことだった。石を蹴りながら遊んでいたとき、ふと作家になりたい、芸術家になりたいと思った。どうしてそんなことを考えたのか、私にもわからない。(中略)私の内面を何か小悪魔のようなものが支配し、私を作家にならせたのだと思う」と。

・俳優のオーソン・ウェルズは、10歳のときに、すでに地元の新聞に次のような紹介記事が載る、小さな名士でした。「漫画家、俳優、詩人---3役をこなす10歳の少年」。

・マイケル・ジャクソンが「ジャクソン・ファイブ」の一員として舞台に立ったとき、10歳のマイケルの歌とダンスがあまりにも完成されていたため、あれは子どもではなく、発育の止まった大人なのだという噂がまことしやかに囁かれました。

・女優のマレーネ・ディートリヒは10歳半のときに叔母から日記帳をもらいました。この日記には、早熟な彼女の恋の悩みが次々に書き込まれました。あるときは、傷病兵に熱烈な恋をして、こう書きました。「あの人が好き。心から愛している。そして何よりも素晴らしいのは、彼も私を好きだっていうこと......今までの私は、愛って何なのかちっともわかってなかった」。

 こうして見てくると、のちに有名になる人々の多くは、10歳になるころに自分の才能に気づき、生涯歩むべき道を歩み始め、きわめて感受性に富み、そして、すでに人並外れた行動力を示していることが、よくわかります。10歳は、多くの人にとって、いわば「人生の原点」のような年齢なのです。
 『嵐が丘』を書いたエミリー・ブロンテは、姉や兄や妹と共に壮大な空想世界を創り上げ、いちばん上のシャーロットが14歳になったころには、4人のつむぎ出す空想世界の物語は22巻にも膨れ上がっていたといいます。

■私の場合
 このような有名人のあとに自分の話をするのは気が引けますが、ここで、私自身の10歳のころの思い出をいくつか記してみたいと思います。
 私も、ご多分にもれず10歳のころは多感な少年時代で、最大のイベントは初恋でした。5年生の春に関西から転校してきた若草色のランドセルの女の子に一瞬にして心を奪われ、たまたま運動会のフォークダンスでペアを組むという幸運に恵まれ、とても仲良くなりました。私はバスの停留所で13個も離れた小学校に越境通学していましたが、彼女がバスに乗って私の家まで遊びに来てくれた日のことは、いまだに忘れることができません。
 このころの出来事でもうひとつ忘れがたいのは、ある日出された宿題の思い出です。家から学校までの歩数を調べる、というのがその課題でした。おそらく担任の先生は、遠くから越境している私のことをうっかり失念していたのだと思います。
 その日の帰路、私はバスに乗らずに学校から家まで歩いて帰り、歩数を測りました。100歩進むたびに指を折り、1000歩進むたびに半ズボンの右ポケットに1個ずつ小石を入れていき、その小石が10個たまると、左のポケットに1個入れて1万歩の印にしました。家に着いてから左右のポケットの小石を数えると、とんでもない歩数であることがわかりました。
 翌日の宿題の結果発表は見ものでした。「僕は245歩でした」「私は473歩でした」といった具合に発表が進んでいき、ついに私の番がまわってきました。私が「11万3526歩でした!」と言ったとき、先生が言葉を失い、教室に言いようのないどよめきが沸き起こったのを今でもよく覚えています。
 私の場合、10歳以前の思い出は他愛ないものばかりですが、このころから自分の頭で考え、自分の心で感じ、意志に基づいて行動する兆しが現れ始めていたと思います。

 ちょうどこのころ、学校から「にあんちゃん」という映画を観に行ったことがあります。これは、父母を亡くした10歳の少女が、残された4人きょうだいの窮状を克明に綴った日記を映画化したもので、すでに『にあんちゃん』という本は大ベストセラーとなっていました。私の手元にある光文社版は、昭和34年刊行の第74版!です。1年足らずの間に、実に74回も版を重ねていたことがわかります。
 10歳の少女の文章に基づく映画を10歳の私が観たわけで、この体験はいろいろな意味で刺激的でした。同い年でこんな苦労をしている子供がいることもショックでしたし、その子が同い年で大ベストセラーを書いていることも大きな驚きでした。私が作家という職業にあこがれるようになったのも、ちょうどこのころのことでした。

■10歳の少女の日記
 私は、この『にあんちゃん』(安本末子著)という本が好きで、今までに3回読んでいます。その中で、忘れがたい場面を2つ、引用してみたいと思います。10歳の子供が、このように深く観察し、考え、人のことを思っている姿は、40年以上たった今でも私の心を打ちます。なお、「にあんちゃん」というのは、二番目のお兄ちゃんという意味で、当時6年生だった高一(たかいち)兄さんのことを表しています。
 まず最初に、この本の冒頭の部分を引用します。日記は、お父さんの四十九日の日から書き始められています。

1月22日 木ようび はれ
 きょうがお父さんのなくなった日から、四十九日目です。にんげんはしんでも、四十九日間は家の中にたましいがおると、福田さんのおばさんが、そうしきのときにいわれたので、いままで、まい朝まいばん、ごはんをあげていましたが、きょうの朝は、とくべつに、いろいろとおそなえをしました。(中略)
 学校からかえってくると、兄さんが、
「お父さんは、あしたから、もうこの家にはいないのだから、いまからおそなえは、きゅう(旧)の一日と十五日しかしない。」といわれました。私は、それを聞くと、とてもかなしくなった。
 私は、お父さんのおいはいの前にすわると、なんだか、お父さんが私を見ているような気がして、うれしいのです。だけど、一日と十五日しかおそなえをしないなら、ときどきしかあえません。それがかなしいのです。(後略)

 私がこの文章を読んで感心するのは、親戚のおばさんや自分の兄に対して「いわれた、いわれました」と敬語を使っていることです。この日記の作者は、どんなに苦しいときでも、人への思いやり、弱い立場の人への共感の気持ちを忘れていません。
 この少女は、お父さんを亡くす前に、お母さんも亡くしています。彼女が、お父さんと会えなくなることを「それがかなしいのです」と綴ったとき、どんなに悲しかい思いで書いたか想像もできないほどです。
 次に引用するのは、日記を書き始めてからちょうど4か月目の、嵐の日の日記です。ここにも、きょうだいのために薄給で働く長兄への思いがつづられています。

5月22日 金曜日 雨
 朝がたは、雨だけで風はあまりふいていませんでしたが、三時間目ごろから、風もビュービューとおとをたててふいてきました。
 教室のまどガラスがわれているので、そこからつめたい風がはいってきて、さむくてたまりません。
 雨風が、ますますひどくなりそうなので、学校を早く帰されました。(中略)
 家に帰ってきてみると、私たちのちょうない(私たちの長屋)は、みんな雨戸をしめきって、だれひとり、おもてにでていません。(中略)
 おもての雨戸がしまっているので、家の中が、うすぐらくなっています。ねえさんと高一兄さんは、だまったまま、本をよんでいるので、なんとなくしいんとしています。聞こえるのは、となりのラジオと、ザーッとふきつける雨風の音だけです。
 こんなひどい風雨の日にも、私たちを思って兄さんは、ぬれながらざんぎょうをしています。私は、家の中でじっとしているのは、なんだか、気のどくなような気がしましたが、なにをしていいかわかりませんから、ただ日記だけつけています。(後略)

 難しい言葉は何も使わず、文章上の技巧を何も弄していません。しかし、飾り気のない文章が、かえって生き生きと情景を描き出しています。いま風に言えば、そのときに少女が感じたクオリア(身の回りの世界の触感のようなもの)がじかに伝わってくるのです。むしろ、少女が書いたというより、情景が書かせたと言ったほうがいいくらいです。
 この印象的な嵐の日の日記をお読みいただいたところで、今度は、この文を英語にしてお目にかけたいと思います。
 日本語からの英訳ではありますが、本章のテーマである「10歳英語」への足がかりが得られると思うからです。翻訳は、英国人作家のクリストファー・ベルトン氏にお願いしました。彼は10歳の少女の気持ちになりきって、やさしい英語で書いてくれました。彼は小説家ですから、子供の文体も大人の文体も自由に書き分けることができます。ですから、これは大人が書いた英語ではなく、子供が書いた英語の見本としてお読みいただけると思います。
 では、さっそく「10歳英語」を味わってみましょう。まとまった英文を読むのが苦手な方のために、この部分は和英対訳形式でお見せします。

5月22日 金曜日 雨
May 22nd. Friday. Rain

 朝がたは、雨だけで風はあまりふいていませんでしたが、三時間目ごろから、風もビュービューとおとをたててふいてきました。
 It was only raining without much wind this morning, but the wind began to screech from about the third period.

 教室のまどガラスがわれているので、そこからつめたい風がはいってきて、さむくてたまりません。
 One of the windows in our classroom is broken, and the wind coming in nearly froze us all to the bone.

 雨風が、ますますひどくなりそうなので、学校を早く帰されました。
 As the storm looked as if it was going to get worse, they let us out of school early.

 家に帰ってきてみると、私たちのちょうない(私たちの長屋)は、みんな雨戸をしめきって、だれひとり、おもてにでていません。
 All of the houses in my street had their storm shutters closed and not a soul was in sight.

 おもての雨戸がしまっているので、家の中が、うすぐらくなっています。ねえさんと高一兄さんは、だまったまま、本をよんでいるので、なんとなくしいんとしています。聞こえるのは、となりのラジオと、ザーッとふきつける雨風の音だけです。
 Our storm shutters were also closed, so it was quite dark inside. My sister and Takaichi were reading books, making the house spookily silent. All I could hear was next door's radio and the lashing of the wind and rain.

 こんなひどい風雨の日にも、私たちを思って兄さんは、ぬれながらざんぎょうをしています。私は、家の中でじっとしているのは、なんだか、気のどくなような気がしましたが、なにをしていいかわかりませんから、ただ日記だけつけています。
 Even on an awful stormy day like today, my brother is doing extra work and getting soaked to skin for our benefit. I feel awful just staying at home like this, but I don't know what else to do, except write my diary.

 いかがでしょう。このベルトン訳からでも、「10歳英語」の実力を十分うかがうことができます。例えば、「雨風が、ますますひどくなりそうなので、学校を早く帰されました」は、As the storm looked as if it was going to get worse, they let us out of school early. と訳されています。
 正直言って、日本人には書けそうでなかなか書けない英語です。でも、こんなふうに英語が書けたらいいな、と思わせる英語でもあります。
 私は、このベルトン訳を、書き手の心情がひしひしと伝わる素晴らしい英語だと思います。あなたも10歳の少女になったつもりで、何度もこの英文を読んでください。気持ちのこもった英文は、やさしい難しいにかかわらず、心に深く残るものです。
 10歳の子供の曇りのない目が、素晴らしい言葉を生み出します。

■シンプルな英語の持つ力
 最後に、これは子供の英語ではありませんが、シンプルな英語が人の心を打つという好例がありますので、それをお見せして終わりにしたいと思います。
 次の一文は、ケニアの初代大統領ケニヤッタ氏が、1978年に「ニューズウィーク」誌のインタビューに答えて語ったものです。彼は、この同じ年に87歳で亡くなっています。
 とてもやさしい英語なので、まず原文をお読みいただき、その次に和訳をお見せすることにします。なお、文中の missionaries は宣教師のことです。

 When the missionaries arrived, the Africans had the land and the missionaries had the Bible. They taught us to pray with our eyes closed. When we opened them, they had the land and we had the Bible.
(宣教師たちがやって来たとき、アフリカ人は土地を持ち、宣教師たちは聖書を持っていました。彼らは私たちに目を閉じて祈るよう教えました。私たちが目を開けると、彼らが土地を持ち、私たちは聖書を持っていたのです)

 こんなにやさしい英語で、こんなに深い内容を表せるというのは驚きではないでしょうか。5、6歳の子供でも言えるような平易な語り口を用いて、ケニヤッタ元大統領は、西洋人がアフリカで行ったことを端的に語り尽くしています。これは、9年間の投獄生活を乗り越えて国家の独立を勝ち取った彼自身の苦渋と苦闘があって、初めて語りうる言葉だと思います。
 シンプルな英語は、実は強い英語、心情あふれる英語です。「にあんちゃん」の場合もそうでした。このケニヤッタ元大統領の言葉を読むと、難しい語彙や文法を使わずとも、深い内容の事柄を人に伝えられることがわかると思います。
 このような英語、シンプルで力強い英語は、むしろ私たちの手の届くところにある英語なのです。私が皆さんにお勧めしたいのは、このような英語です。

(『ネイティブの子供を手本にすると英語はすぐ喋れる』 2006年 青春出版社刊 第4章より)